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檜原神社

三輪山を降りて、狭井神社から山の辺の道に入り玄賓庵の横を通り檜原神社へ向かいました。




玄賓庵




山の辺の道はいつ通っても良いですね。
車も自転車も通らない道、目の前には四季折々の草花が咲き乱れています。
私も初めにこの道を歩いてから、歩くのが好きになりました。






それまでは、歩くのが嫌いでどこへ行くのも車でした。
そのせいで体はいつもどこか調子が悪く体力も気力もへなへなでした。
ところが、山の辺の道で歩く楽しさを覚え、今では時々歩かないと体がうずうずするくらいにまでなっちゃいました。(笑)





そのおかげで嘘のように、本当に元気になりました。
大自然はどんな病院、薬よりも効果があるのです。





目の前の草花、大きく広がる青空、胸いっぱいに吸い込む心地よい空気。
心も体も軽くなり、なんだかもっと頑張れる気がしてきます。





なんて考えているうちに着きました、檜原神社です。




檜原神社は大神神社の摂社です。
大神神社と同様に三輪山をご神体をしていましたが、現在は山中の磐座(イワクラ)をご神体としているのだそうです。




それで、拝殿も本殿もなく独特の形をした三つ鳥居が立つだけです。





三つ鳥居





天照大御神が伊勢神宮に鎮座する前の宮があった笠縫邑(カサヌイムラ)の伝承地で元伊勢と呼ばれています。





ほこら





元伊勢は、もともと皇居内に祭られていた皇祖神の天照大御神を伊勢神宮内宮に至るまでの間に一時的に祀った伝承を持つ神社・場所をいうのだそうです。





『日本書紀』よると、伊勢神宮の鎮座に至るまでに、理想的な鎮座地を求めて各地を転々としたことが記されているのだそうです。





崇神天皇(紀元前148年-紀元前30年)の皇女豊鋤入姫命により倭国、笠縫邑に始まり、その後垂仁天皇(紀元前69年-70年)の第四皇女倭姫命に引き継がれ約60年の間をかけて行われたといわれています。





京都の籠神社とか、和歌山の日前宮とか、奈良、滋賀、三重など27か所もあるのだそうです。





そして、この三つ鳥居に背を向けて神社の鳥居をくぐると目の前に二上山が綺麗に見えます。





二上山






年に二度、秋分の日と春分の日にだけちょうど伊勢(三つ鳥居)の方向から日が昇り、二上山の二つの山の間に日が沈むと聞いて、今回やってきたのです。
でも、まだお昼くらいなのでこのあと、箸墓、舒明天皇陵、倉梯などをまわってから、夕方もう一度この場所へ戻ってこようということになりました。





一度、檜原神社から二上山の方向へ歩いて山を下ります。
途中、ホケノ山を通り箸墓まで下りて行きました。




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檜原神社から二上山の方向に山を下りて行くと途中にホケノ山があります。
ホケノ山は3世紀中ごろに築造された最古の前方後円墳だといわれています。



ここへ来るのは二度目です。
前回はホケノ山古墳の草刈りをしていて上ることができませんでした。
次に来たときは絶対に頂上に登ろうと心に決めて去ったのでした。




どこから上るのだろうと思いましたが、道が見当たらないので思い切って正面上ることにしました。




草がぼうぼうに生えていて膝まで埋まってしまいそうでしたが、きっと大丈夫だと思いがんがん登って行きました。




ホケノ山古墳





着きました、頂上です。
目の前に箸墓が見えます。
良い景色です。




ホケノ山より




ホケノ山古墳を降りて箸墓に向かいました。




大市古墳




箸墓は倭迹迹日百襲姫命大市墓(ヤマトトトヒモモソヒメオオイチハカ)
そしてまた、卑弥呼の墓とも言われています。


箸墓


【倭迹迹日百襲姫命大市墓】



孝霊天皇の皇女であった倭迹迹日百襲姫が御諸山(三輪山)の神である大物主神の妻となったとする神婚伝承があります。



倭迹迹日百襲姫は箸で下腹部を突いて薨じ、大市に葬られたが、人々はその墓を名付けて箸墓と呼んだとされています。




崇神天皇の祖父孝元天皇の妹、倭迹迹日百襲姫命は大物主命の妻となりました。


しかし、この神は夜にばかり通ってきて姿を見せないので姫はまだお姿を見たことがありません、どうか夜の明けるまで居て美しいお姿を見せて下さいと願いました。



神は「明朝お前の櫛箱の中に入っていようと答えた。姫は朝のくるのを待って櫛箱をあけると中に美しい小蛇がいたので驚いて泣きだすと神は人の姿に戻り「よくも私に恥ずかしい思いをさせてくれた」といって三輪山に帰ってしまいました。



姫はたいへん後悔しそのはずみに箸で陰処(ほと)を突いて死んでしまいました。


そこで人々はその墓を箸の墓と呼んだそうです。





箸墓は二度目ですが今回は前回よりもかなり整備されて綺麗になっています。
色々な説はあるようですが、私は卑弥呼の墓だと思いたいです。





さて、このあと車のある大神神社まで戻って、車に乗せてもらって舒明天皇陵と崇峻天皇陵のある倉梯とに行きました。




この辺りで結構足はヘトヘトになっていたので、車はありがたいです。
先輩のご主人さまに感謝です。









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